~捨てる神あれば拾う神あり~神様の世界も厳しい・・・?!

こんにちは。

 ここ信州諏訪の地はまだまだ寒い日が続きますが、立春を過ぎてから少しづつ暖かくなってきたような気がします。

 何事もそういう気がすることが大切なので、皆さん前向きに頑張りましょう!

 

 さて、以前の続きで、諏訪大社にまつわる神話についてご紹介しようと思いますが、神話というと読んで字のごとく「神」の話。

 色々と調べてみると、実は神様も大変なようで、時には上げられ、時には下げられ。

 捨てる神あれば拾う神ありと申しますが、捨てられたり、拾われたりして何とかこの年まで生き永らえて来たわたくしにしてみますと、大変僭越ではありますが、神様のご心情をお察し申し上げます。

 そして、何を恐れ多いことを、とお叱りを受けることを承知で、「神」ってなんだろうと考えてみたいと思います。諏訪大社を語る上でも非常に大きく係わってきますので、なにとぞ寛大なお気持ちでお許しくださいませ。

 

 私たちの直接の祖先である「新人類」が地球上に誕生したのがおよそ20万年前だと言われています。それ以前にも「原人類」であるとか「旧人類」と呼ばれる種族が存在していましたが、それらが滅亡したのに対して「新人類」が今日まで繁栄している大きな要因の一つが、他の人類に比べて生まれてからの成長の速度が明らかに遅かったことだと考えられているようです。

 それにより、成人になるまでの長い時間を使い考える力が飛躍的に発達し、様々な逆境や苦難を乗り越えてこられ、今日に至ったのだと言われています。そして、他の動物を遥かに凌ぐ思考力が、「神」という存在を作り出してきたのではないでしょうか。

 太古の時代より、人類は生きるために必要な水や食料などを、自然の恵みから賄ってきました。そして、その命の源である自然とは、人間の力ではどうすることもできない大きな力であり、それこそが「神」であると考えて来たのだと思われます。その最たるものが「太陽」で、古代信仰の中心には必ずと言っていいほど「太陽」が存在していました。

 時が進み、人間の生活スタイルが採取から栽培へと変化してくると、コミュニティーの存在が重要になり、それが発達するにつれ、必然的に「神」が自然から人へと移り変わってきました。初めは自然を司る神々の代弁者であった人間が、次第に神格化され、信仰の対象となり、様々な宗教の原型になったのだと考えられます。

 そしてその背景には、必ずその時代の人々の思惑が絡み合い、崇められたり蔑まれたりしながら様々に形を変え今日に至っているのだと思います。

 諏訪大社にまつわる神々を描いた神話の数々も、その時代の人々によって都合のいいように作られてきたものであろうことを念頭に置き、また次の機会にお話ししたいと思います。

 

   神様も  人の都合で  上(かみ)になる

 

おあとがよろしいようで・・・・。