諏訪大社って?

 最近諏訪大社の事を詳しく調べています。諏訪で生まれ育った私ですが、調べれば調べるほど知らなかった事ばり…。そして、日本でも成り立ちが一番古い神社の一つと言われているこの神社は、すごく面白い!なぜ今まで無駄に過ごしてきた長い時間のうちの少しでも、この事に使ってこなかったのかと悔んでおりますが、今からでも遅くないと一念発起して学んでいる事を、少しづつでも皆さんに紹介していきたいと思います。

 まずは諏訪大社の成り立ちから。

 日本に古くからある神社は皆そうであると思いますが、とにかく一番初めは古代からその土地に根付いている原始信仰が基になっています。諏訪の場合それは「ミシャグジ信仰」と云われています。「ミシャグジ信仰」とは、湛(たたえ)という土地あるいは巨石・大樹を神降ろしの場所と考える信仰です。この「ミシャグジ神」を降神、あるいは昇神・憑依させるのは土着の「モレヤ氏」と云われています。この「モレヤ氏」を中心に十四人の村代神主(むらしろこうぬし)と神使「おこう」六人の「二十のミシャグジ」による[ミシャグジ祭政体」が形成されていたと言われています。この原始信仰の形がこの後様々に形を変えてゆく諏訪大社の信仰の基礎となっていると考えられています。

 さて、お時間となりましたので本日はこの辺にしておきます。次回は神話の世界に入っていきたいと思います。

 

捨てる神あれば拾う神あり

      神様の世界も厳しい…!? 

 さて、以前の続きで、諏訪大社にまつわる神話についてご紹介しようと思いますが、神話というと読んで字のごとく「神」の話。

 色々と調べてみると、実は神様も大変なようで、時には上げられ、時には下げられ。

 捨てる神あれば拾う神ありと申しますが、捨てられたり、拾われたりして何とかこの年まで生き永らえて来たわたくしにしてみますと、大変僭越ではありますが、神様のご心情をお察し申し上げます。

 そして、何を恐れ多いことを、とお叱りを受けることを承知で、「神」ってなんだろうと考えてみたいと思います。諏訪大社を語る上でも非常に大きく係わってきますので、なにとぞ寛大なお気持ちでお許しくださいませ。

 

 私たちの直接の祖先である「新人類」が地球上に誕生したのがおよそ20万年前だと言われています。それ以前にも「原人類」であるとか「旧人類」と呼ばれる種族が存在していましたが、それらが滅亡したのに対して「新人類」が今日まで繁栄している大きな要因の一つが、他の人類に比べて生まれてからの成長の速度が明らかに遅かったことだと考えられているようです。

 それにより、成人になるまでの長い時間を使い考える力が飛躍的に発達し、様々な逆境や苦難を乗り越えてこられ、今日に至ったのだと言われています。そして、他の動物を遥かに凌ぐ思考力が、「神」という存在を作り出してきたのではないでしょうか。

 太古の時代より、人類は生きるために必要な水や食料などを、自然の恵みから賄ってきました。そして、その命の源である自然とは、人間の力ではどうすることもできない大きな力であり、それこそが「神」であると考えて来たのだと思われます。その最たるものが「太陽」で、古代信仰の中心には必ずと言っていいほど「太陽」が存在していました。

 時が進み、人間の生活スタイルが採取から栽培へと変化してくると、コミュニティーの存在が重要になり、それが発達するにつれ、必然的に「神」が自然から人へと移り変わってきました。初めは自然を司る神々の代弁者であった人間が、次第に神格化され、信仰の対象となり、様々な宗教の原型になったのだと考えられます。

 そしてその背景には、必ずその時代の人々の思惑が絡み合い、崇められたり蔑まれたりしながら様々に形を変え今日に至っているのだと思います。

 諏訪大社にまつわる神々を描いた神話の数々も、その時代の人々によって都合のいいように作られてきたものであろうことを念頭に置き、また次の機会にお話ししたいと思います。

古事記と諏訪大社  

 それでは、少し遠回りをしましたが、諏訪大社にまつわる神話について、お話しをしていきたいと思います。

 まずは、わが国最古の歴史書と言われている「古事記」です。

 最近は、少しづつ脚光を浴びてきているようで、現代文に訳されたものですとか、漫画とかでも紹介されておりますが、大変良いことなのではないでしょうか。たとえ神話であれ自分の国のルーツについて触れることは、大変有意義なことであり、特にこれから世界に向かって大きく羽ばいていくであろう若者達には、是非とも知っておいてもらいたいものです。

 さて、「古事記」には原本が残っておらず、今日では幾つかの写本が伝わっているだけです。左の写真は真福寺に所蔵されている国宝の、現存する最古の「古事記」の写本です。

 「乙巳の変」【いっしのへん/私達の世代は「大化の改新」と教えられていましたが、今は中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)が蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺したクーデターを「乙巳の変」と言い、その後に行った改革を「大化の改新」というらしいです。】に憤慨した蘇我蝦夷(そがのえみし)は大邸宅に火をかけ自害し、この時に数多くの朝廷の歴史書が焼失してしまったそうです。

 その後天智天皇(中大兄皇子)は白村江の戦(はくそんこうのたたかい)の敗北により、記紀編纂の余裕がなく、「天皇記」など国記に代わる古事記や日本書紀の編纂は、弟である天武天皇の命により進められました。そしてその命を受け、稗田阿礼(ひえだのあれ)の記憶をもとに太仲麻呂(おおのなかまろ)が編纂し元明天皇に献上されたのが「古事記」です。

 「古事記」は1.上つ巻(序・神話)、2.中つ巻(初代から十五代天皇まで)、3.下つ巻(第十六代から三十三代天皇まで)の3巻からなっていて、上つ巻の神話の中に諏訪大社の祭神にまつわるお話が掲載されています。

天津神と国津神

  (あまつかみとくにつかみ)

 こんにちわ。

 本日は久しぶりに諏訪の神のお話の続きを書きたいと思います。

 前回、「古事記上つ巻」で登場するとお話ししましたが、その「大国主の国譲り」というお話の前に、簡単にそこまでのストーリー展開をご紹介したいと思います。

 

 古事記の中では、この日本を創造した神は「イザナギ」と「イザナミ」であり、この2神は「高天原(たかまがはら/天上界)」から「葦原中国(あしはらなかつくに/地上界)」に降り立ち、そこで結ばれて様々な神々を産んだとされております。ちなみに天上界の神々を「天津神(あまつかみ)」といい、地上界の神々を「国津神(くにつかみ)」と言います。

 イザナギとイザナミの子の中で、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」、「月夜見命(ツクヨミノミコト)」、「須佐能命(スサノウノミコト)」の三神は「三貴子」と呼ばれ、神々の中でも特に重要な位置を占めているとされております。

 有名な「天岩戸(あまのいわと)」や「ヤマタノオロチ」、「因幡の白兎」などのお話がございますが、そこらへんのお話はシャシャっと端折(はしょ)らせていただき、そんなこんなでいろいろなできごとがあったなかで、スサノウノミコトの子孫である「大国主神(オオクニヌシノカミ)」が葦原中国を治めることとなっておりました。

 そこにスサノウノミコトの姉君であるアマテラスオオミカミが、オオクニヌシノカミに対して葦原中国を譲るように迫ってきたのが「大国主の国譲り」のお話であります。

 

 さて、本日はここまでとさせていただきます。次回こそは諏訪の神が登場してまいります。

 ちなみに古事記に関しましては、稗田阿礼(ひえだのあれ)さんのホームページ「古事記を現代語訳っていうかラノベ風にしてみた。」において、大変分かり易く、かつかなり大胆にくだいた表現で書かれておりますので、そちらをご参考にしてみることをお勧めいたします。

 

 それでは又、次回に・・・。